三池炭鉱三川鉱炭じん爆発事故とは




 1963年11月9日、三池炭鉱三川鉱で炭じん爆発事故が起き、死者458人、一酸化炭素中毒患者839人が出ました。戦後最大の労働災害です。

 事故の原因は以下のように考えられています。まず、石炭を運ぶトロッコ列車(炭車)の連結器が破損し、後部の車両が猛スピードで下り脱線しました。これにより、炭じん(石炭の粉)が舞いました。同時に、脱線した炭車がレールなどに衝突するか、あるいは電線を破損するなどして火花が生じ、炭じんに引火し、大爆発を引き起こしました。この時、大量の一酸化炭素が発生しました。一酸化炭素は猛毒で、わずかな量を吸い込んだだけで死亡し、生き残ったとしても脳がダメージを受け、後遺症が残ることが多いです。


 炭じん爆発事故の防止はそれほど難しくはありません。定期的に掃除することで炭じんを減らし、炭じんが発生しやすい場所に散水することで空気中に舞うことを防止し、さらに岩粉をかけることで爆発しにくくすればよいのです。
 しかし、当時の三井鉱山はコスト削減・生産拡大を最優先するために保安要員を大幅に減らし、これらの防止策を怠っていました。したがって、事故の責任は三井鉱山にあるのです。


 CO中毒による後遺症を防止・軽減するためには、COガスを吸ってしばらくは安静にすることが重要です。しかし、当時の医者の多くはCO中毒で生存し後遺症が生じることはほとんど無いと誤解いていました。そのため、救助され病院に運び込まれた人でも自力で歩ける人は家に帰され、「安静にしてください」などと指導されることはなく、彼らは家族や同僚の葬式の手伝いなどをし、このためにCO中毒を悪化させました。


 CO中毒の後遺症の大小・種類は人によって様々です。寝たきりになる重度の方もいれば、一見大丈夫に見えても仕事すればすぐに疲れたり物事を覚えることができずに仕事にならない、ちょっとしたことで理性を失い家族に暴力を振るう、などの症状が出る人もいます。
 CO中毒に後遺症は無いと考えられていたこと、後遺症は外見から分かりにくいことから、比較的症状は軽い、しかし確実に脳が損傷を受けているCO患者は詐病ような扱いを受けることも多かったです。




トップに戻る






















inserted by FC2 system